桂ざこばの妻や子供は?娘・関口まい、若い頃や桂米朝との関係・晩年まで紹介

桂ざこばの妻や子供

上方落語を代表する落語家の一人として長年活躍した桂ざこばさん。

落語だけでなく『探偵!ナイトスクープ』『ちちんぷいぷい』など数多くのテレビ番組にも出演し、関西では特に親しまれた存在でした。

歯に衣着せぬ発言と人情味あふれるキャラクターを覚えている人も多いのではないでしょうか。

そんな桂ざこばさんについて、

「妻はどんな人?」

「子供は何人いる?」

「関口まいとの関係は?」

「孫もいる?」

「若い頃はどんな落語家だった?」

「桂米朝とはどんな関係?」

「脳梗塞から復帰していた?」

「何歳で亡くなった?」

などが気になっている人も多いでしょう。

この記事では、桂ざこばさんの妻・子供・娘の関口まいさん・孫・若い頃・桂米朝さんとの関係・落語家としての経歴・晩年まで紹介します。

桂ざこばのプロフィール

桂ざこば

芸名 桂ざこば(かつら ざこば)
本名 関口 弘(せきぐち ひろむ)
生年月日 1947年9月21日
出身地 大阪市
血液型 O型
師匠 三代目 桂米朝
旧芸名 桂朝丸
所属 米朝事務所
子供 娘2人
次女 関口まい
没年月日 2024年6月12日
享年 76歳

桂ざこばの妻は?

桂ざこばさんは結婚しており、妻がいました。

妻は芸能活動をしている著名人ではないため、本記事では公表されていない個人情報まで追いかけることはしません。

2024年に桂ざこばさんが亡くなった際の葬儀には、妻・長女・次女ら家族が参列したことが報じられています。

ざこばさんはテレビでは豪快なイメージもありましたが、晩年まで家族に囲まれて生活していました。

桂ざこばの子供は娘が2人

桂ざこばさんには2人の娘がいます。

長女は一般人ですが、次女は芸能活動をしている関口まいさんです。

2024年6月に行われた葬儀にも妻、長女、関口まいさんらが参列しました。

そのため桂ざこばさんの家族について検索すると、「桂ざこば 娘」「桂ざこば 関口まい」というキーワードがよく出てきます。

次女はタレントの関口まい

桂ざこばさんの次女・関口まいさんはタレントとして活動しています。

父娘でテレビ番組に出演したこともあり、親子関係について語られる機会もありました。

2016年には朝日放送テレビの番組で父娘共演。

関口まいさんが父・ざこばさんのために料理を作る企画が放送されています。

番組では子供時代の思い出だけでなく、ざこばさんと孫との関係についても紹介されました。

桂ざこばは孫をとてもかわいがっていた

桂ざこばさんには孫もいました。

関口まいさんはシングルマザーとして子育てをしていた時期があり、その際、ざこばさんが父親代わりのように孫の成長を支えていたことを明かしています。

学校の見学会や説明会にも、多忙な仕事のスケジュールを調整して同行していたそうです。

テレビで見せる豪快な姿とは違う、「おじいちゃん」としての一面があったことがわかります。

桂ざこばの若い頃は?15歳で桂米朝に入門

桂ざこばさんの落語家人生は非常に早く始まりました。

中学校を卒業したばかりの15歳だった1963年、後に人間国宝となる三代目桂米朝さんへ入門します。

入門当時の芸名は「桂朝丸(かつら ちょうまる)」でした。

大学や専門学校を経て落語家になったのではなく、10代半ばから落語の世界へ飛び込んだことになります。

師匠は人間国宝・三代目桂米朝

桂ざこばさんの師匠は三代目桂米朝さんです。

桂米朝さんは、戦後の上方落語復興に大きく貢献した人物として知られています。

ざこばさんはその米朝一門の一員として、古典落語を学びました。

若い頃から師匠のもとで修業を重ね、後には上方落語を代表する落語家の一人へと成長していきます。

若い頃は「桂朝丸」として活躍

現在では「桂ざこば」という名前が有名ですが、長い間桂朝丸として活動していました。

朝丸時代から落語だけでなくテレビやラジオにも出演。

やんちゃで飾らないキャラクターと、率直な物言いでも人気を集めました。

後年のざこばさんにつながる個性的なキャラクターは、若い頃から形成されていたようです。

1988年に二代目桂ざこばを襲名

桂朝丸さんは1988年、二代目「桂ざこば」を襲名しました。

入門から約25年後のことです。

以降は桂ざこばとして高座に立ち続け、上方落語界の中心的な存在になっていきました。

人情味のある古典落語に加え、テレビで見せる感情豊かなキャラクターも大きな魅力でした。

桂ざこばはテレビでも大活躍

桂ざこばさんを落語よりテレビで知ったという人も多いでしょう。

これまでに、

  • 探偵!ナイトスクープ
  • ちちんぷいぷい
  • たかじん胸いっぱい
  • 大阪ほんわかテレビ
  • バラエティー生活笑百科
  • 知っとこ!
  • ざこば・鶴瓶らくごのご

など数多くの番組に出演しました。

落語家でありながら、関西を代表するテレビタレントの一人でもあったといえるでしょう。

桂ざこばの魅力は人情味あふれるキャラクター

桂ざこばさんは感情を隠さず、テレビでも喜怒哀楽をストレートに表現する人物でした。

時には涙を流し、時には怒り、率直な意見を口にする姿が印象に残っている人も多いでしょう。

一方で、後輩や弟子をかわいがる人情深い人物としても知られていました。

この「落語家としての実力」と「人間味のあるキャラクター」の両方が、長年支持された理由の一つでしょう。

桂ざこばが作った「動楽亭」とは?

桂ざこばさんは2008年、大阪市西成区に「動楽亭」を開設しました。

落語を身近に楽しめる寄席として運営され、後進の育成にも力を注ぎました。

自分自身が高座に立つだけではなく、若手落語家が経験を積む場所を作ったことも、ざこばさんが上方落語界に残した大きな功績の一つです。

桂ざこばは2017年に脳梗塞を発症

桂ざこばさんは2017年に脳梗塞を発症し、入院しました。

当時は落語家として今後高座へ戻れるのか心配する声もありました。

しかし治療とリハビリを経て仕事へ復帰します。

次女の関口まいさんは後に、脳梗塞によって落語ができなくなった時期があり、ざこばさんが70歳を過ぎてから落語を一から覚え直したことを明かしています。

70歳を過ぎて落語を覚え直した

長年落語家として活動してきた人物が、70歳を過ぎてから再び噺を覚え直すのは簡単なことではありません。

しかし、ざこばさんは「もう一回でもがんばる」という思いで高座復帰を目指しました。

そして実際に再び舞台へ戻っています。

このエピソードからも、桂ざこばさんが晩年まで落語への強い思いを持っていたことがわかります。

桂ざこばは2024年に76歳で死去

桂ざこばさんは2024年6月12日、76歳で亡くなりました。

所属事務所から発表された死因は喘息です。

午前3時14分、自宅で息を引き取ったことが公表されました。

2024年になってからも舞台に立っており、同年4月には弟子たちの襲名に関する記者会見にも元気な姿を見せていました。

そのため、突然の訃報に驚いたファンも多かったことでしょう。

旧記事にあった「ガン?」という情報について

以前この記事では「桂ざこばさんはガンなのでは?」という内容も扱っていました。

しかし、これは現在の記事では削除します。

2017年に公表された病気は脳梗塞であり、2024年に所属事務所が発表した死因は喘息です。

根拠のない病名を推測する必要はありません。

本記事では本人・所属先・報道機関などから確認できる公表情報を中心に紹介しています。

2024年には約400人が参加するお別れ会

桂ざこばさんが亡くなった後、2024年8月には大阪でお別れ会が開催されました。

ファンや落語関係者など約400人が献花。

会場には若い頃の写真なども展示され、長年親交のあった落語家や芸能人も最後の別れに訪れました。

落語界だけでなくテレビ・芸能界を含め、非常に幅広い人たちから愛された人物だったことがうかがえます。

2026年には桂ざこば三回忌追善公演も開催

桂ざこばさんが亡くなってからも、その存在は上方落語界に残り続けています。

2026年7月4日には京都・南座で「桂ざこば三回忌追善 桂米朝一門会」が開催されました。

公演では桂ざこばさんが映像出演する企画や、ざこばさんについて語る思い出トークなども行われました。

米朝一門の落語家だけでなく特別ゲストも出演し、ざこばさんを偲ぶ公演となりました。

桂ざこばの妻・子供・若い頃・晩年まとめ

今回は桂ざこばさんの妻、子供、娘の関口まいさん、孫、若い頃、桂米朝さんとの関係、晩年について紹介しました。

桂ざこばさんは中学校を卒業したばかりの1963年、15歳で三代目桂米朝さんに入門。

「桂朝丸」として長く活動した後、1988年に二代目桂ざこばを襲名しました。

落語だけでなくテレビでも活躍し、関西を代表する人気者の一人となりました。

私生活では妻と2人の娘がおり、次女はタレントの関口まいさんです。

孫の学校行事にも同行するなど、晩年には優しい祖父としての一面も見せていました。

2017年には脳梗塞を発症しましたが、70歳を過ぎて落語を覚え直し、高座へ復帰。

2024年6月12日に喘息のため76歳で亡くなりました。

15歳で米朝一門へ入り、約60年にわたって落語とテレビの世界で人々を楽しませ続けた人生は、桂ざこばさんが上方芸能界に残した大きな足跡といえるでしょう。

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